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蓮ヶ峯農場さんの鶏肉

 

京都府綾部市の山間集落「八津合」で、添加剤やビタミン剤不使用で平飼い養鶏を営む農家がいる。蓮ヶ峯農場の2代目、峰地幹介さんだ。奥さんの紀子さんと2人で約800羽を飼育している。
京都市内のデパートや個配を中心に販売。山間部で飼料や飼育方法にこだわりながら養鶏を営む峰地さんを訪ねた。

 

 

「飼料には、合成ビタミン剤や遺伝子組み換え製品、また一般的な配合飼料によく使われるエトキシキン(酸化防止剤)などは一切使いません。平飼いの密度もなるべく低密度にし、鶏の命に寄り添った養鶏を心がけています」。峰地幹介さんは力強く語る。
蓮ヶ峯農場で使う飼料は、素材から全て厳選し、それぞれ購入したものを自家配合する。鶏の腸内環境を整えるための発酵飼料も地元の米ヌカを自家発酵している。全て自分が納得したものしか使わない。

 

「手間もコストもかかりますが、季節や鶏の体調に合わせて配合を変えることができるので、僕にとってはメリットが大きい。それに卵の味を決めるのは、飼料と水です。この2つにこだわるからこそ美味しい卵は出来ます」と話す。
飼料米や小麦は出来る限り地元のものを使う。米は地元の農家さんに減農薬(除草剤1回)で栽培してもらっている。「飼料米を減農薬で作るなんて、手間に対してお金にはならないはずです。それでも応援の気持ちで作ってくれています。本当にありがたいですね」と峰地さん。

この他にも、牡蠣殻やきなこ、魚粉などは国産のものを使用。トウモロコシは輸入だが、NONーGMO(非遺伝子組み換え)、PHCF(収穫後の農薬不使用)にこだわっている。
飲み水は、裏山からの湧き水を利用し、流水式で常に新鮮な水を与えている。「汲み溜めの水だと、すぐに汚れてしまうし、夏場などはすぐにぬるくなってしまいます。新鮮で冷たい水が鶏たちの暑さを和らげてくれる効果もあります」。
餌と水にこだわった同農場の卵は、黄身が綺麗なレモンイエローで、優しい風味が人気だという。

 

低密度な平飼いで鶏のストレスを最小限に

 

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「平飼い」という言葉を使うには、「120日齢以降は、1平方メートル当たり5羽以下で飼育するものとする」という規定がある。

蓮ヶ峯農場の平飼いは、規定の約半分、2・4〜2・6羽/平方メートルで飼育して
いる。
「1平方メートルあたりに5羽というのは、実際に入れてみると分かりますが、結構窮屈です。鶏がのびのびと暮らせるように低密度にしています」。さらに、微生物が鶏糞を分解し、床を適度な乾燥状態を保つためにもこのくらいの密度がちょうどいい。この適度な床状態を保つことで、鶏本来の習性〝砂浴び〟ができる。この本能を大切にすることも鶏にとっては大切だと峰地さんは考える。

「鶏は非常に繊細で変化を嫌うため、急に給餌の時間が変わったり、飼料の配合割合が変わったりするとストレスを感じます」。こうした微妙なストレスによっても卵を数日産まなくなる鶏もおり、産卵率にダイレクトに影響を及ぼす。そのため、蓮ヶ峯農場では、鶏のストレスを極力減らすために、餌やりの時間や飼料の配合にも気を使う。
給餌は、午後1時と夕方の1日2回。「鶏の産卵時間は毎日決まっているわけではありませんが、午前中が多い。産卵中はそっとしておきたいので、午前中はあまり鶏舎には近寄りません」。
峰地さんが養鶏農家として一番気をつけているのは、「鶏に寄り添う目線」だ。「鶏の本能を大切にした飼育にこだわっています」と笑顔で語る。

 


 
 

父の意思をつなぐ

 

峰地さんは、蓮ヶ峯農場の2代目だ。跡を継いだ形になるが、自分が跡を継ぐとは全く思っていなかった。
農業高校を卒業し、1年間の農業研修を経て、養豚と果樹を営む長野県の農業法人に就職した。6年間働き、2013年に三重県の有機農業を行う農業法人に転職。その夏、峰地さんの父が体調を崩し、そのまま息を引き取った。

「父は67歳のときに亡くなりました。それでもよく生きたと思います。父は20代の頃に輸血によって肝炎に感染し、余命2年と宣告されました。断食療法で病を克服したけれど、決して体は丈夫じゃなかった。自然に身を置いた生活が、父をここまで生かしてくれたのだと思います」と静かに話す。
峰地さんは、父と共に養鶏を営んできた母と相談して、30年以上続いた鶏舎をたたむことに決めた。車を運転しない母に代わって峰地さんが取引先へお礼まわりに出かけた。蓮ヶ峯農場の卵は、デパートや小売店、個人宅配でも人気商品でファンも多かった。先方には、「辞めないでほしい。蓮ヶ峯農場の卵を待っている人がいる」と言われた。

峰地さんの心は揺れた。
「もともと、農業を自営でやるつもりはなかったんですよ。法人の方が自分に合っていると思っていましたから」と峰地さんは当時を振り返る。
その場では決心が付かなかった峰地さんだが、少しずつ鶏舎を復活させる方向へと心は動いていた。
一番の決め手は、やはり思い出す父の背中だった。
「僕の両親は、こんな山間集落で鶏を育て、そして僕と兄の二人を一生懸命育ててくれました。小さい頃には、配達のトラックにもよく付いて行きました。そうやって育ってきた自分を思い返すと、自分自身も結局そういう子育てしか出来ないんじゃないか、と思うようになったのが一番の決め手かもしれませんね」と笑う。
2014年1月、蓮ヶ峯農場2代目としての歩みが始まった。

 

命に責任を持つ養鶏の形

 

峰地さんが跡を継ぎ、飼料や飼い方など変えた部分はもちろん多い。営業まわりにも出かけ新たな販路の開拓にも力を入れた。しかし、核心の部分は変わらない。
それは、「家畜といえども、その命に最後まで責任を持つ」ということだ。
蓮ヶ峯農場では、役目を終えた廃鶏は屠殺され、肉として販売される。「羽数が増えると、どうしてもこの廃鶏の販売も難しくなります。だからこそ平飼いで低密度。自分自身が命に責任を持てる羽数で飼育しています」。

峰地さんが、鶏の命への責任を感じるのは、現在の畜産の多くが、家畜の生産性をあげることやコストの削減に主軸が置かれているためだ。一般的に産卵率が落ちて採算が取れなくなった鶏は廃鶏と呼ばれ、破棄される。一部は、加工肉やペットフードなどに使用されるが、殆どの採卵農家は廃鶏の販売ルートを持っておらず、また屠殺してからの焼却処分などはコストがかかるため、産業廃棄物として扱わざるえないのが現状だ。やむなく生きたまま埋められてしまうこともある。
こうした現在の養鶏のあり方が、峰地さんに「命に最後まで責任を持つ」という言葉を使わせる。

「畜産も産業である以上仕方ない部分もあります。だからこそ、安価で卵を買うことができる。その恩恵は誰しもが受けているものであり、簡単に否定はできません。しかし、命を扱う以上はこの問題から目を背けたり、考えることをやめたりしてはいけないとも思います」と力を込める。

 

ちいさな命に責任を持つ鶏飼い

 

蓮ヶ峯農場2代目、峰地さんの取組みは始まったばかりだが、卵の味やその安心感から引き合いは多く、生産量の不足状況が続いている。そこで、今年度には鶏舎を増設し、採卵鶏を1000羽ほどに増やす予定だ。更に、地鶏と烏骨鶏も400羽増やし、経営の多角化も図っていく。
「それくらいが、僕ら夫婦で責任を持てる限界だと思います。ちいさな命に責任を持つ鶏飼いを目指しながら、美味しくて、安心できる卵をこれからも届けていきたい」と語る。

 

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