harapeko_pageeye_shinchaku

ありがとうの力と愛農70周年

2016-02-02 配信

先月母が硬膜下血腫で緊急手術することになったという知らせで、夜行バスで駆けつけました。2日2晩全く眠らないで、幻想と戦っていましたから、私達も24時間体制で母を見守りました。脳の手術ではそういうことが起こることがあるのだそうですが、3日目の夜からぐっすり眠れるようになったのでほっとしました。

母の93歳の人生で一番の大勝負は、出会って2時間ばかり話す間に父を見込んで、この人について行こうと決断したことだったと思います。出会ってから4日後には父と共に満州に渡ったのですから、本人も家族も相当な覚悟をしたことでしょう。

満州で3度大病を患い危篤の電報も打たれたそうですが、母は「何時死んでもいいと思うほど幸せだった」と言っていましたから、その決断はまちがってはいなかったのでしょう。誠実で農業が大好きな父を生涯支えていこう、死ぬ時にはお前でよかったと言ってもらえる嫁になろうという母の決心が、並々ならないものだったことを、今回あらためて知りました。そして見事に73年連れ添い、「良かったなー、お互いいい人生だったなー」と老いた父母が語り合う姿は本当に美しい絵のようでした。

若き日の夢を実現させた母に「お見事、すばらしいお手本をありがとう」と言って上げましたが、今回さらに驚いたことがありました。とにかく感謝だ感謝だといっていた母の顔が、皺ものびてどんどんきれいになっていくのです。看病する私も妹も,姪もみんなが優しい気持ちにさせられ、こちらからもたくさんのありがとうをお返ししたくなりました。

「家族に大事にされて、いい子や孫を与えられて、こんなに幸せなことはないよ。ありがとう、ありがとう。これも愛農に出会えたおかげだね。愛農高校の生徒さん達をたくさん預かって、子どもがいっぱい増えて嬉しかった。愛農の70周年の大会には、もう行けないけどたくさんの人が集まるといいね」帰り際に母が言った言葉は、母の人生の総決算、母の遺言だと思いました。私も母のように、最後にありがとう、ありがとうとお別れ言える人生のしめくくりをめざして歩もうと思わされたことでした。

さてその父と母の人生を根底から支えてくれた愛農会が、3月12日、13日には70周年記念あいのうシンポジュームとあいのうフェスを開きます。関心ある方はレジ横の愛農会のリーフレットをご覧いただき、当日愛農学園に足を運んでいただければ嬉しいです。

代表 奥田美和子

ハラペコ通信2016年2月号より

愛農70周年特設サイトはこちらから

1446203638


←前の記事「」へ 
 次の記事「」へ→