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ハラペコ通信7月号巻頭言「蓮ヶ峰農場より」

2017-07-16 配信

ハラペコあおむしでは月に一度、鶏肉が冷蔵庫に並びます。
京都府綾部市、自然豊かな地域にある「蓮ヶ峰農場さん」から届けていただく貴重な‟親鳥のお肉”。
2代目農場主の峰地さん夫婦は純国産鶏「もみじ」の平飼いたまごや烏骨鶏のたまごなどを生産しています。
「鶏が、鶏らしく、生きものらしく。」「心身ともに健康な鶏であること。」
これらを大切にされています。

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人間はとても利口な生きものだと思う。自分たちが生きるために、自分たちの都合に合わせて、あらゆる生命を整理し分別して、それぞれの生命の考え方や扱い方を決めている。例えば家畜。たとえばペット。野生、害虫、益虫‥。畜産に携わる僕は、あたりまえのように家畜を傷つけてきた。それは決してペットと呼ばれる生命には許されないこと。

僕は人生のほとんどを家畜と共に生きてきた。鶏飼いのもとにうまれた僕が、今も畜産を続けるのは、自分たちが安心して食べられる家畜が他にないからかもしれない。それは、食として安全かどうかということではなく、家畜が生命としてどう生きたか?ということ。

その畜産物が安全かどうかという考えはシンプルで分かりやすい。でも、本当に大事なことはそこではないように思う。畜産物自体が、ただの食品になりつつあり、その家畜がどうやって繁殖し、成長したのかという過程は忘れ去られようとしている。いつも食べている豚のお母さんがどうやって一生を終えるか知っていますか?いつも食べている鶏がどうやって繁殖させられているか知っていますか?オスはたまごを産めないけれど、どうなっているか知っていますか?考えたことがありますか?

安くて美味しい肉や卵をつくるために、畜産界は異常とも思える進化?を遂げ、そのシステムや構造は複雑化しています。お客さんの中には、古き良き畜産業のイメージを持つ人も少なくないでしょう。しかし残念ながら、そんな畜産は今の社会にはほとんど存在していません。人間が家畜を食い尽くすのが先か、家畜が地球を食い尽くすのが先か。膨らみ続ける畜産物の消費が、生命や環境に与える影響はあまりにも大きいのです。畜産物が安くなり過ぎました。その代償はどこにいっているのでしょうか。僕たちは今、少し立ち止まって、忘れてしまいそうになっている何かを思い出すべき時なのかもしれません。

はじめませんか?大切に育てられたいのちを大切に食べるという選択。

蓮ヶ峰農場二代目 峰地幹介


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