ハラペコ通信2019年2月号「名前のつかない豊かさ」
2019-04-03 配信
畑をしていない私にとって、「食べものは買う」のがふつうになっています。畑をしている人(この場合は岡本さん)にとっても、「タネを買う」ことは、ほかの資材を買うことと同じように、当たり前だったそうです。
私が奈良で講演をお聞きした、岐阜県郡上で農を営む岡本よりたかさんは、農業を始めてから畑も収入も思うようにいかない日が続いたそう。4年ほどたったあるとき、放っておいて草が生えた畑の中に、タネの落ちた野菜が勝手に育っているのに気がつきました。そして「タネが原因だったのか?」と考え、そこから自分でタネを採り始めたそうです。
いま、大きな流通に乗るお野菜の多くは、箱の中ではみんなぴったりとサイズが揃って、味や形もほとんど揃っています。そのおかげで、販売者は個々の違いを判断しながら値段の差をつける手間が少なくなります。
一方、作り手が毎年タネを買うことで減っていくのが「タネ採り」の習慣です。タネ採りがいけない訳ではないのです。しかし、2つの親のいい所が出るように交配されて仕上がりが均一に揃い、広く使われる「F1品種」からタネを採ると、遺伝法則によって、特徴が全てバラバラの子どもになります。つまり、流通で好まれる品種からタネを採って育てても、もとの品種と同じものができません。もとの品種名も名乗れず、農協へは納めにくい。こうしてタネ採りの習慣は減ってきました。
しかし放っておいた場所で野菜がぐんぐん育っていたように、土地の特徴を覚えた作物は、次の年のタネはもっとその土地に適するよう作物自体が変化していくそうです。“在来種”という名で呼ばれる種類でも、環境や農家によって均一ではないし、代々変化していくもの(正式に品種名を付けるのは難しい)。カラフルなトウモロコシが古くから育てられてきたメキシコでは、粒の色の入り方を見れば、どの家のものかが分かるそう。
スーパーへ行けば、いつも「同じ」トマトが手に入ることを当たり前に思っていたけれど、元をたどると、毎年その品種のタネから育てられたということ。安定して、いつも手に入ることはありがたいけれど、農家さんはタネを毎年買う必要がある。岡本さんは生活が苦しくなったとき、「手元には種がある。お金がなくてもタネを採れば食べものは手に入る。」と気付いたと言います。 個性がバラバラな野菜に出会う機会がもっと増えると、タネを買わずに「タネを採る」という選択肢も増えるのかもしれません。
タネを開発する人、タネを売る人、作物を育てる人、運ぶ人、売る人、そして買う人。色々な仕事が分業されているけれど、すべて「1つの野菜」を私たちが食べるまでの道のり。個性ある作物をこれからも残していくためには・・・そう考えると、私たちの行動ひとつひとつも、豊かなタネの未来へと繋がっているのですね。
(法律の話、遺伝の話など、詳しくはハラペコでも入荷中の本「種は誰のものか?」(岡本よりたか著)で読めます。)
スタッフひづる