harapeko_pageeye_shinchaku

幸せについて考えた夏

2016-09-18 配信

「幸せについて考えた夏」

熊本震災の直後から熊本入りして、ボランテアとして活躍してくれた愛農高校卒業生の岡君が、7月に自転車で熊本を出発し、各地の友人を訪ねながら炎天下を北上し、8月末に三重にたどり着きました。3か月余り私の実家を拠点として働いてくれて、妹夫婦や両親もとても喜んでいたので、私も岡君に感謝していたのですが、彼の方も熊本に行けてよかったと嬉しそうでした。年老いて何もできなくなり、介護してもらうだけの私の両親の事を「おじいちゃん、おばあちゃんも素晴らしかったし、ああいう風に夫婦で年を取れたらいいなという目標ができた」という彼の笑顔にこちらまで幸せをもらいました。実は私も熊本に行ってきたところで、3日間ゆっくりと両親と過ごしてきたばかりだったのです。母は今回も「父さんが欲ばりでなかったから、本当に幸せな人生だった」と何度も言っていました。戦前戦後と74年間連れ添った98歳と94歳の父母ですが、「いい人生だったなー、ありがとう、ありがとう」と互いにと感謝しあう姿は本当に美しく、人生の最後はこうありたいものだと思わされたことでした。

私たちはみんな幸せを求めて生きていると思うのですが、肝心な幸せの中身についてあまり深く考えたことがなかったような気がします。たまたま母の本棚で見つけた「北御門二郎 魂の自由を求めて」にこんな言葉がありました。

トルストイが願い、求めた真の幸福は

「ひとたび得たらいつまでもとぎれることがなく いつまでも飽きることがなく、人と争って奪い合うものでなく、人と分かちあえばあうほど増してきて、死がまぢかに迫っても色あせることがないものである」

人と分かち合えば増してきて、死がまぢかに迫っても色あせることがない幸せとは。

いつもいつも自分の事より家族の事を一番にしてくれた母、全く欲というものがなくただただ喜んで、田畑の仕事に打ち込んできた父、みんなの幸せを祈り願って生きてきた両親を手本にしっかり生きていこうと思わされた今年の夏でした。

奥田美和子

ハラペコ通信2016年9月号

 

尚「北御門二郎 魂の自由を求めて」をハラペコの店頭にて販売しています


←前の記事「」へ 
 次の記事「」へ→